2.聖書の権威(2)


1.聖書の権威

 聖書は神の感動によるもので、神の人類救済の聖意思を示し、我らの信仰と実践の唯一無比,完全にして真実なる標準たることを信ずる。

                        『日本バプテスト連盟信仰宣言』(1947年)より

聖書

あなたの御言葉は、わたしの道の光

わたしの歩みを照らす灯。

わたしは誓ったことを果たします。あなたの正しい裁きを守ります。

わたしは甚だしく卑しめられています。主よ、御言葉のとおり

命を得させてください。

詩編119編105節〜107節


 私たちの教会の信仰告白の第1項は「聖書の権威」です。信仰告白の第1項に『聖書』が置かれていると言うのはバプテスト教会に特徴的なことといえるでしょう。バプテスト教会は宗教改革の教会の中でも最も聖書に忠実であろうとした教派です。それゆえ、他のキリスト教会から危険視され、迫害さえされた歴史を持っています。

 宗教改革の教会には「聖書のみ」という原則があります。カトリック教会においては聖書と共に教皇の権威が同等の位置に置かれていました。それゆえ、聖書と教会とが二大権威であったわけです。しかし、プロテスタント教会は「権威は聖書のみである」と告白しました。教会も、教会の指導者も聖書の権威の元に置かれている、それゆえ、教会もその指導者も聖書の言葉によって問われなければなりません。そして、聖書の言葉によって行く道を正さなければなりません。例えば、私たちの教会の最高の意志決定機関は総会です。しかし、総会で決定したことが聖書の教えに反していたならば教会は歴史の中で裁かれ、悔い改めをしなければなければなりません。バプテスト教会においては総会もまた聖書の権威に額づくものでなければならないのです。

 さて、今長のみ言葉の箇所、詩編119篇は詩編の中でも最も長大なものとして知られています。しかし、この詩編のテーマはシンプルです。それは、主のみ言葉と導きを喜ぶということなのです。

 この「ともしび」、「光」とは闇の中の光です。それがなければ道を見失ってしまう闇が前提となっています。そしてそれは私たちの状態をあらわしているのです。私が子供の頃絵本に描かれていた21世紀は科学万能の世の中でした。そこに描かれたいたものはずいぶん沢山現実となっています。家庭の中にコンピューターがあります。2000年問題は私たちの家庭の中、生活の中に気がつかないほど多くのコンピューターが使われていたからおきた問題でした。携帯電話でテレビ電話のように画像が送れます。リモコンでテレビ、エアコン、明かりのスイッチまで様々なものを操ります。しかし、21世紀の世界でも戦争はなくならず、飢えた人々がいます。先進国の人々の心はストレスで疲労しています。現在の日本の壮年層の死亡原因の一位は自殺です。科学と文明が進む中で地球の温暖化といった思いもよらない危機が起こってきました。生命科学が進み、遺伝子が操作され、臓器移植が行われ、まさに神の領域に達した分野がある一方で人間の最も基本的な社会の単位である家庭が崩壊し、社会倫理が失われています。欲望に振り回されて、人間は自らの尊厳を投げ出しているかのようです。新しい技術を得る一方で起こった人の世の混乱はバベルの塔の時に与えられた神様の警告を思い起こさせます。

 旧約聖書創世記11章のバベルの塔の出来事は、技術革新と人間のおごりをテーマとしています。石の代わりにレンガ、土をこねた漆喰の代わりにアスファルトを得た人々はそれまでも遥かに丈夫な建造物を容易に作ることができるようになりました。そこで、人々は天にとどく塔を立てようと考えたのです。神様の領域に入っていこうとしたのです。そのような人々に神様は警告をおあたえになりました。人々の言葉が通じなくなり混乱が生じ、塔の建築は途中で頓挫してしまったのです。

 数千年前のこの出来事を今の視点で見ますと、レンガとアスファルト程度の技術で神の領域に入ろうとするなど滑稽に思えます。今、遺伝子操作、生命科学に対してマスコミなどで「人は神の領域に入った」と言われることがあります。しかし、あと数千年経った時、21世紀の人間はあの程度のことで神の領域に入ったなどといっていた、と笑われているかもしれません。人間は自らを万物の霊長と呼んでおごり高ぶっていたのです。クリスチャンとなった科学者の方々の証しをまとめた本があります。その中の一人の科学者は、「一つのことが解明されるとまた新しいなぞがあらわれてくる。わかればわかるほどわからないことが多くなる。科学によって人間の小ささがよくわかった」といっています。また、ある人は「化学で自然を解明していくとそこにはすばらしい秩序があることに誰もが気づく。そして、私はそれを偶然とはとても思えない。そこには、確かな意志があり、設計者がいるとしか思えない」といっているのです。

 科学が進歩し、素晴らしい技術を得た人類です。しかし、悩みが尽きません。神様を恐れることを忘れ、神様を否定して自らの力で幸せを得ようとした私たちは、多くの便利さと快適さを手に入れながら、ストレスを感じ、自分の存在の意味を見失い、不安と悩みを抱えながら生きているのです。

   あなたの御言葉は、わたしの道の光

   わたしの歩みを照らす灯。

   わたしは誓ったことを果たします。あなたの正しい裁きを守ります。

   わたしは甚だしく卑しめられています。

   主よ、御言葉のとおり、命を得させてください。

 やはり、現代に生きる私たちにも、聖書のみ言葉は必要なのです。御言葉の光が必要なのです。技術は人間が用いるものであって、技術は決して人間の生き方を示すものではありません。今、私たちに必要なのは生き方の指針、人生のテキストなのです。

 私たちは信仰告白において、「聖書は神の感動によるもので、神の人類救済の聖意思を示し、我らの信仰と実践の唯一無比,完全にして真実なる標準たることを信ずる」と告白します。私たちにとって、聖書は「信仰と実践の唯一無比、完全にして真実なる標準」です。

 私たちを愛し、人々を罪から救うために一人子を与えてくださった愛なる神は、私たちを必ずより良いところへ導いてくださる方であることを信じます。

 神の言葉を、人生の光として歩んでまいりましょう。

祈り

 救い主イエス・キリストの父なる神様、あなたの御名を心より讃美いたします。

 いま、私たちの周りには様々な混乱があり、痛みがあります。しかし、それらは人間の歴史の中で繰り返されてきたことであることを思います。人は、自らの過ちから学ぶことを忘れ、傲慢に生きることを求めます。

 神様、どうぞ私たちがあなたのみ言葉を光として歩むことができますように。私たちのこの世の歩みにとって、あなたのみ言葉の導きが必要であるということを私たちが忘れることのないように、主よ、どうぞ聖霊によって私たちの心を砕いてください。そして、あなたのもとにまことの救いと、喜びがあることを心新たに確信することができますように。

 この祈りと願い、主イエス・キリストの御名を通しておささげいたします。

(2001年7月8日 礼拝説教)