4課 キリストの救い


1.原罪によって滅びに定められた人間   

 A.死を見つめる
   *死をタブー視してきた日本人
    記紀神話 (古事記と日本書紀) によれば、死後の世界は目を背けたくなるよう
    な恐ろしい世界です。日本人の先祖崇拝も先祖を敬うという以上にたたりを恐
    れるという傾向が強いようです。日本では、死んだ人が皆 仏になったり、皆天
    国に行くというように言われます。それらの背景にも死んだ人を悪く言うと祟ら
    れるという「恐れ」があるのです。ですから、神社に祀られている人は処刑され
    た政敵や非業の死を遂げた人というのが多いのです。最近でこそ、死を人生
    のリセットというようにとらえる傾向が生まれてきましたが、元来、日本人は死
    後の世界を否定的にとらえてきたのです。そのため、現世主義的な面が強いと
    も言われています。

   *人は皆、死ぬべきもの
    ヨーロッパのあるテレビ局が人間の死に関する討論会を催しました。そこに招
    かれたのは、宗教者、医師、哲学者、神学者といった人々でした。長い討論の
    結果、そこで参加者全員が一致した結論に達しました。それは、「人間は死ぬ
    ということを私たちはもう一度確認しなければならない」ということでした。その
    討論に参加した人々は、人は必ず死ぬ、という事実を見つめることが現代人に
    は必要だということを感じていたのです。どんなに死をタブー視しても死から逃
    れられることは出来ません。死から目を背けるのは最大の現実逃避といえるで
    しょう。また、リセットというように安易に考えることも無責任な死の選択につな
    がる場合がありますから、現実逃避といえるでしょう。
            
 B.魂の滅び
   *魂も不滅ではない
    イエス様は「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むし
    ろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい」(マタイ10:28)と
    いわれました。この御言葉には大切な二つのポイントがあります。第一は体が
    死んだ後にも魂は生き続けるということ、そして、第二は魂も不滅ではなく滅び
    があるということです。

   *罪の報酬としての死
    「罪の支払う報酬は死である」(ローマ6:23)とパウロは記します。私たちは神
    様との関係を壊し、原罪にとらえられた者となりました。その結果、私たちは死
    ぬべき存在となりました。そして、この死は肉体の死に留まらず魂の滅びをも
    意味するのです。

2.キリストの救い

 A.十字架の贖い人
   *贖い
    「贖い」と訳されている聖書のギリシャ語はアポルトロシスという言葉で、「身代
    金の支払いによりなされた解放」と言う意味です。「罪の贖い」とは、罪をつぐな
    うための捧げ物(犠牲)によって与えられる罪からの解放を意味します。イスラ
    エルでは罪を贖うための犠牲として、小羊が捧げられました。ヨハネ福音書は
    イエス様を「神の小羊」と記しています。イエス様こそ私たちの罪を贖うための
    犠牲の小羊と理解しているのです。

   *十字架
    十字架は、ローマ帝国が属国の反逆者を処刑するために用いた道具です。属
    国に対する支配力を強めるため反逆者を見せしめのためにも長時間苦しめて
    殺す道具なのです。十字架は、当時の人々、特にローマ帝国に支配されてい
    た者たちにとって忌まわしい物でした。ですから、イエス様の死の様は本当に
    悲惨な死だったのです。
 
 B.罪からの救い
   *キリストの購い
    人間は、神様との信頼関係を壊しその結果原罪を持つ者となりました。パウロ
    は「罪の支払う報酬は死である」といいます。人の命は原罪によって朽ち、滅び
    る存在となってしまったのです。しかしパウロはさらに続けて、「しかし神の賜物
    は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」と記していま
    す。(ローマ6:23)これは、キリストの贖いが完全であることを示しているので
    す。

   *罪からの解放
    マタイ福音書27章51節にイエス様が十字架で息を引き取られたときに「神殿
    の幕が上から下まで真二つに裂けた」とあります。この垂れ幕は神殿の中で神
    と人との場所を分けるためのものでした。これが裂けたということは、神と人と
    を隔てる壁が取り去られてということを意味します。私たちは罪を赦され、神の
    民として永遠の命に生きる者とされました。神の御子イエス様が原罪から私た
    ちを解放する贖いの捧げ物となってくださったのです。
    「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を
    信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)