少年サムエルの祈り


旧約 サムエル上 3:1から21

 私たちの信仰生活にとって、祈りはとても大切です。ウィリアム・バークレーは、「祈るということは人間にとって本能的なことだ」と言っています。そして、同時に「祈り」を学ぶことの大切さを訴えています。これは大切です。何であれ「できる」ことを「より良くできる」ようにするというのは大切です。それによって、見た目は同じでも結果は大きく異なってくるからです。

 バークレーの言葉を裏付けるように、イエス様も弟子たちに祈りについて教えておられます。私たちは、祈りについて学ぶことを大切にしたいと思います。

 聖書の示している祈りは対話です。パウロは「信仰は聞くことによる」といっています。つまり、神様のからの語りかけが先にあるのです。私たちが祈って、それに神様が応えて下さったように思える時も、実は、その先に神様からの語りかけがあります。そして、多くの場合、私たちは後になってそのことに気づきます。

 祭司エリのもとに預けられた少年サムエルは神様の語りかけを聞きます。彼は始めそれが神様の声と気づかず、エリの言葉だと思っていました。そこで、エリのもとに「私をお呼びですか」とききましたが、エリは呼んではいませんでした。何度かそんなことがあり、エリはそれを神様からサムエルへの呼びかけであると気づきます。そして、もし今度そのような呼びかけがあったなら、「僕は聞きます。主よ、お話しください」といいなさいとサムエルに教えました。

 その後、サムエルが聞いたのは師であるエリの子供たちに対する神様の厳しい裁きの預言でした。サムエルにとってそれを受け止めるのは容易なことではなかったでしょう。エリは、サムエルに全てを話すようにいい、サムエルはそのようにします。

 この出来事は、聞くことの大切さを示しています。サムエルは神様の言葉を聞きました。そして、エリもまたサムエルを通して神様の言葉を聞いたのです。そして、エリはその言葉を受け入れました。神様の言葉を聞き、それを語るというのは困難や苦しみを伴います。もし、サムエルもエリも人間関係を優先させていたら神様の言葉を受け入れることができなかったでしょう。サムエルはエリを通して聞くことの大切さと厳しさ、そして、神様の言葉を聞きそれを語ることの厳しさを学びました。そして、エリは身をもって、そのことを伝えたのです。

 バークレーは祈りを人間に備わった本能的なものと言い、同時に祈りを学ぶことの大切さを語っています。祈りを学ぶことの中で、特に意識的に学ばなければならないことは、神様の言葉を聞くということ。つまり、「聞く祈り」ではないでしょうか。そして、神様からの語りかけは聖書を通して与えられるのです。聖書を通して聖霊が語りかけて下さいます。また、聖霊が働く時に聖書の言葉が活き活きと私たちに語りかけてきます。なぜ、聖書が大切かと言えば、聖書が示しているように私たちの周りには諸々の霊が働いているからです。神様に反する霊の働きや語りかけがあり、それに対して注意を払おうとすればやはりその言葉を聖書という物差しで判断する必要があるのではないでしょうか。

 聖書の御言葉と祈り、この二つは、呼吸が、吐いて吸う、吸って吐くということの積み重ねであるように不可分の関係にあります。

 聖書を通して祈り、祈りを持って聖書に聞き神様の御心を訪ね求めてまいりましょう。