
5課 信仰告白とバプテスマ
1.バプテスト教会と信仰告白
A.信仰告白とは
*信仰告白
「信仰告白」とは私たちの心に与えられた信仰を公に言い表す(告白する)こと
を言います。そして、「信仰告白」は何をどのように信じているかを表明するも
のでもあります。聖書は偶像礼拝を禁止していますから、信じる対象を明確に
することが重要です。
「信仰告白」は「教会の信仰告白」のように共同体のものと、個人のものとの二
つに分けることが出来るでしょう。個人のものは心の裡の信仰を公に言い表す
という意味が強く、一方、共同体の信仰告白はその共同体の信仰内容を明確
にすると言う意味が強いようです。
*信条と信仰告白
キリスト教の信仰内容を示すものとしては「使徒信条」が有名です。「信条」とは
広い意味では信仰告白のことですが、狭くは、信仰の基準を示している信仰告
白の定式を意味します。バプテスト教会では日々聖書から学びつつ時代状況
の中で信仰を言い表すことを重視しします。人間の告白は、聖書の言葉によっ
てその正しさを検証しなければなりません。「信条」のように定式化されてしまう
と聖書と並ぶ一つの権威となってしまいます。ですから、権威を聖書のみに置く
バプテスト教会では「信条」ではなく「信仰告白」というスタイルをとっています。
B.信仰告白の必要
*人は心に信じて義とされ、口で告白して救われる 【ローマ10:10】
バプテストをはじめ、プロテスタント教会は信仰義認という立場に立っていま
す。私たちは自分の努力によって救われるのではなく、神様の一方的な恵みに
よって救われます。信仰とは、神様の恵みの約束を信じ受け入れることを意味
します。そして、その信仰を公に告白するとき、私たちは救いの確信をいただく
ことが出来るのです。
*信仰の相互吟味
私たちは不完全なものですから、信仰に於いても独り善がりになってしまうこと
があります。自らの信仰を公にし相互に吟味し合うことも必要です。バプテスト
はこのような信仰の相互吟味を大切にしてきたのです。
2.バプテスト教会のバプテスマ
A.バプテスマとは
*沈めのバプテスマ
日本では一般的に洗礼と訳されることの多いバプテスマと言う言葉は、原語の
ギリシャ語では「沈める」と言う意味の言葉です。私たちバプテスト教会では聖
書の言葉に基づいて「沈めのバプテスマ」を大切にしています。このような沈め
のバプテスマは日本語では浸礼(しんれい)と言われます。それ以外にも教派
によっては、頭から水を注ぐ滴礼、水を振りかける濫水礼などの形が取られて
います。
*バプテスマに込められた意味
元々バプテスマはユダヤ教に改宗する異教徒に施されました。異教徒の罪の
汚れを水によって洗い清めるためにバプテスマが行われました。バプテスマの
ヨハネが示したようにバプテスマを受けるというのは自らの罪を認めると言うこ
と、つまり「悔い改め」のしるしなのです。また、ロマ書6章4節にあるように、沈
めは葬りを象徴し、そこから引き上げられるさまは復活による新生を象徴的に
証しします。
このように、バプテスト教会のバプテスマには、御言葉への服従、悔い改め、キ
リスト共にしに新しく生きる新生者としての証しと言った意味が込められている
のです。
B.バプテスト教会のバプテスマ
*信仰者のバプテスマ
「人は心に信じて義とされ、口で告白して救われる」と御言葉にあるように私た
ちは信仰によって救われます。ですから、バプテスト教会はバプテスマなどの
礼典(儀式)に人を救う神秘的な力があるとは考えません。救われた者として、
イエス様のバプテスマに倣い、御言葉に服従してバプテスマを受けるのです。
このようなバプテスマ理解から、バプテスト教会では信仰告白の伴わない幼児
洗礼を否定します。
*主の体に連なる礼典
バプテスト教会の信仰告白とバプテスマ式は特別な理由のない限り教会の会
衆の前でなされます。歴史的にもバプテスマ式は主の体の一部分として教会に
加わるの入会式でもあるからです。バプテスマ式は個人の救いにとどまらず教
会全体の出来事なのです。時としてバプテストは個人主義的に見えますが、会
衆の前での信仰告白とバプテスマを通して共同体制を重視し、相互吟味、相互
牧会を大切にしてきた教会なのです。