2008年 6月1日


人を生かす律法
聖書 マルコによる福音書 2:23〜28

 イエス様はガリラヤ地方で公の活動を始められました。ガリラヤ地方というのは国としてはイスラエルに属していますが、国の中心地ではありませんでした。国の中心はエルサレム神殿のあるユダヤ地方です。ガリラヤはいわゆる田舎です。言葉にも訛りがありました。イエス様が捕らえられた時、弟子のペトロはこっそりと闇にまみれて大祭司の邸宅の中庭まで行きました。しかし、そこにいた女中に「この人も仲間だ」といわれて怖じ気づきました。暗がりでなぜ仲間だとわかってしまったのか、それは言葉が鈍っていたからです。そして、この訛りのことでユダヤ地方の人々はガリラヤ地方の人のことを馬鹿にしていました。特に、訛りによって律法が正確に発音できないからといって、信仰的にも劣る人々だと言われていたのです。

 人の信仰をはかるというのは容易なことではありません。普段教会に対して何となく斜めで批判的な人が、何か教会でことが起こった時に何をさしおいても教会を支える、そんな人に出会ったことがありました。その人と神様の距離、教会に対する思い、それらは日頃目に見えることだけでは判断できないことがあります。しかし、私たちは自分の価値観の中でいとも簡単に信仰をはかってしまうことがあります。ユダヤの人々は、ガリラヤの人が正確な発音で律法を読むことができないという理由で信仰に問題があると言ってしまっていました。そして、ガリラヤの人々の心の中にも自分たちは、中心ではないという思いがありました。そして、中心であるユダヤ地方、そして、エルサレムに対するあこがれと反発という相反する感情がその心の中にあったと思われます。一つの国の中でも地域間に緊張関係が存在します。それは、昔のユダヤも今の日本もそれほど変わりません。最近でこそ、方言がよいものとされてきましたが、明治以降の日本では方言は恥という教育政策がとられてきました。それは一つの国の中に中心と周辺を作ることでもありました。そのような中で、周辺地域であるガリラヤに目を見張るような癒しの力を持ち、学者たちと対話しても引けをとらない、それどころか学者たちよりも遙かに人々の心を打つ聖書の話をするイエスという人が現れました。

 先週はユダヤ教の中にも様々な教派があること、そしてイエス様の時代には大きく分けて三つのグループがあったことをお話ししました。福音書にイエス様の論争相手として度々登場するファリサイ派、祭司たちを中心とするサドカイ派、そして、バプテスマのヨハネのグループであるエッセネ派です。これらのグループは互いに緊張関係を持ちつつ、イスラエルの宗教を導いてきました。そこに、そのどれにも属さない新鮮で人々を魅了する、教えを携えたイエス様がそこに現れました。

 ガリラヤ地方ではイエス様の噂は一気に広まりました。しかし、それは、今まで力を持っていた人たちとの間に厳しい緊張関係を生み出しました。今日取り上げていますのは、マルコの2章の最後の部分です。ここには安息日の出来事が記されていますが、それはまだイエス様が公の活動を始められてから何日もたたない日のことだと思われます。ところが、3章6節を見るとこの日にファリサイ派とヘロデ派の人々はイエス様を殺そうという相談を始めた、と記されています。そのようなイエス様に対する明確な殺意のきっかけとなったのが、安息日に関する意見の対立でした。

 今日の聖書箇所には安息日に起こった出来事が記されています。安息日にイエス様と弟子たちが麦畑を歩いていた時、弟子たちが麦の穂を摘んでそれを食べたのです。そして、これがファリサイ派の人々の目に触れ批判の対象となったのです。何が問題になったのでしょうか。以前、聖書の勉強会でこのように質問しましたら「人の畑の麦の穂を勝手に摘む行為が問題ではないか」と答えた方がいました。確かにそうですね。しかし、それはあまり問題にならなかったようです。ユダヤの律法というのは厳しく感じますが、そこには困っている人や弱者に対する深い配慮がありました。ですから、空腹の人が手で穂を摘んで食べることにはゆるされていました。しかし、ここでファリサイ派の人が問題にしたのは麦の穂を手で摘むと言うことが収穫にあたる、つまり刈り入れの仕事だと言うことで安息日の規定に違反すると言って問題視したのです。これも、もし落ちている穂を拾ったなら収穫とは見なさませんでした。このように、ファリサイ派の人々は細かなことにも規定を設けて、安息日を厳守しようとしたのです。

 ところで、安息日というのは私たちのカレンダーで言えば土曜日にあたります。正確には金曜日の日没から土曜日の日没までの期間です。この日には何の仕事もしてはいけないと律法に記されています。そして、律法にはこの規定の根拠として二つのことが示されています。それは、天地創造の時に神様が六日間で天地を創造し七日目に休まれたからという根拠です。神に倣うものとして、神様が休まれた日には私たちも休むと言うこと、そして、神様の創造のみ業に心を向けるためです。これは、出エジプト記に記されています。もう一つは、出エジプトの時、神様が海の奇跡によってイスラエルの民を救ってくださったことを記念するためです。エジプトの追っ手に築いて恐れとまどい騒ぐばかりのイスラエルの民にモーセは「静まってみていなさい、万軍の主が戦われる」といいました。主が働いて救って下さった、そのことを記念するために安息の日を守りなさいという教えです。安息日は仕事をしてはいけない日ですが、そこには目的がありました。それは、神様の祝福を覚え、神様による救いを覚える日なのです。キリスト教では日曜日を礼拝の日として大切にしています。それは、日曜日がイエス様が復活された日だからです。曜日は変わりましたが、神様の一方的な恵みによる救いを覚えるという目的は同じなのです。

 安息日とは何か、律法とは何か、その意味を忘れてしまうと私たちは大切なことを見失ってしまいます。ファリサイ派の人々は律法を守ることに熱心なあまり、憐れみとか優しさを忘れてしまうことがありました。そして、イエス様にとって憐れみや優しさは律法の根幹に関わることでした。そしてイエス様はファリサイ派の人々に、ダビデが自分と共の者たちが空腹だった時に供え物のパンを食べた、という出来事をお示しになりました。イエス様はダビデの律法に対する柔軟な姿勢をお示しになりました。けれどもそれは、いいかげんで良いというのではありません。「安息日は人のために定められた」とおっしゃっているように、イエス様には安息日に対する明確な理解がありました。この理解に立ってイエス様はダビデの例をお示しになったのです。

 安息日に関する律法には、寄留している異邦人、奴隷、そして、家畜にも休みを与えるように、という戒めが記されています。仕事をするな、ではなく仕事から解放し、解放されることを律法は求めておられます。奴隷が休みを与えられるというのはまさに人間として解放されるということです。安息を通して生きる力を得る日なのです。そして、ここには私たちの礼拝の本質も示されています。神様の憐れみの中に身をおいて、私たちは日々の罪から解放されるのです。神様に造られた「私」が神様に愛されている「私」であることに気づく時、私たちには人間としての本当の解放があります。そして、そこから私たちは神様の祝福に押し出されて、それぞれに与えられた生活の場所へと神の民として派遣されて行くのです。


祈り

 主イエス・キリストの父なる神様、主の日の朝、市川大野キリスト教会へと呼び集められ、敬愛する兄弟姉妹方と共に礼拝を捧げる恵みに感謝いたします。

 神様、あなたは私たちに配慮ある戒めを与えて下さいました。神様、どうか私たちがイエス様がお示しくださったあなたの御心を受け止めることができますように。そして、あなたの愛の内にあることを覚え、喜びを持って歩む者でありますようお導きください。

 この祈りと願い、主イエス・キリストの御名を通して御前にお捧げいたします。

市川大野キリスト教会 主日礼拝説教 2008年06月01日