7課 バプテスト教会


1.教派について   

A.人間の限界と神様の憐れみ

*聖書の時代からあった教派

理性的な視点で聖書を読むとそこに沢山の違いがあることに気付きます。旧約聖書なら創世記の二つの創造物語に見られる順序の違い、歴代誌とサムエル記とのダビデ王朝の描き方の違いは明確です。そして、新約聖書なら四福音書の違い等々、多くの違いがあります。これらは聖書の時代から教派があったことを示しています。そしてそれらが一冊の聖書であることは、教派の違いというのは本質的な違いではなく強調点の違いであるという事実を示しているのです。本質が異なる物はもはや教派ではなく異端なのです。

*神様の配慮としての教派

人は時として自分を絶対化します。また、極端な発想をするときがあります。パウロのメッセージはキリスト教の本質を示しています。しかし、それを間違って受け止めた人々がいました。それによって教会が混乱し、クリスチャンたちのライフスタイルが道を外れていきました。それを正すためにヤコブは手紙を書きました。パウロの主張と真っ向から対立するように見えるヤコブは、実はパウロを正しく理解していたのです。聖書には一見矛盾に思えるような記述があります。それは、聖書の間違いではなく私たちの間違えを正すための神様の配慮ではないでしょうか。そして、教派もまた私たちが自らを省み、信仰を吟味するために神様が用意されたものではないでしょうか。

B.教会・教派との出会い

*神の導きを信じて

日本で教会を訪れる人の多くは、教派によって教会を選んでいるわけではありません。たまたまそこにあった教会がバプテストであったと言う場合が多いでしょう。ですから、教派にこだわらない信仰生活をおくる人がいます。しかし、教派との出会いの中にも神様の導きを感じる方もいます。せっかくの出会いですから自分の導かれた教会の特徴や姿勢を学ぶことは意味のあることではないでしょうか。

2.バプテスト教会の特徴

*聖書信仰

バプテスト教会では、聖書を唯一の信仰の規範とします。他の多くのプロテスタント教会も同様ですが、カトリック教会では法王の権威が聖書と並ぶとされています。

*新生者のバプテスマ

バプテスト教会では聖書に従い、信仰告白に救いの根拠を置いています。ですから、儀式などによって救われたり、清められるとは考えていません。信仰を告白し、救いに与った者にバプテスマを授けます。また、このような考えから信仰告白の伴わない幼児洗礼を否定します。

*浸礼によるバプテスマ

バプテスト教会では聖書の言葉に従い、全身を水に沈める沈めのバプテスマを行います。これは、救いと新生の象徴でもあります。そして、バプテスマを受けることはイエス様に倣うことでもあります。ですからバプテスマはイエス様に従って生きることの表明でもあります。

*自主自立した各個教会

バプテスト教会、「教会」と言う場合にはそれぞれの各個教会(ローカル教会)をさします。バプテスト教会ではそれぞれの教会が自主性を持ち互いに支配、被支配と言った主従関係を持つことはしません。しかし、各個教会は孤立教会ではありませんから、より良い伝道のために連盟や連合を作り、喜んで協力します。

*会衆主義

バプテスト教会はそれぞれの各個教会が自主運営をしています。そして、その運営は協会員全員の平等な権利と責任によっておこなわれます。牧師や執事、役員(制度は教会によって異なる)といったリーダーを立てますが、それは働き(職務)であって地位(ステイタス)ではないのです。

*政教分離

バプテスト教会はその誕生から政治と宗教の分離を主張してきました。個人の信仰の自由は尊重されるべきであって、国家が干渉すべきではないと主張します。現代では、信教の自由は重要な人権となっていますがかつてはそうではありませんでした。

バプテスト教会は、信仰の自由を大切にしてきました。アメリカ合衆国憲法に信教の自由がうたわれたのは、アメリカ建国当時のバプテスト教会の働きによるものとして知られています。