神の語りかけ


ルカによる福音書 1章  

 祈りは神様との対話です。ですから祈りは私たちの側からだけでなく、神様からの語りかけによって始まることがあります。

 イエス様の誕生に至る出来事は神様からの語りかけによって始まりました。神様からの語りかけとそれに対する人の応答という展開は、マタイ福音書とルカ福音書のそれぞれの降誕物語に共通しています。それぞれの福音書で、神様から語りかけられる、またその語りかけに気付く登場人物は異なっていますが、神様の先立ちと人の応答というかたちは同じです。その中でも、イエス様の道を備える役目を担ったヨハネの誕生にまつわる祭司ザカリアとその妻エリザベトの出来事と、イエス様の母となるマリアの出来事はとても対照的な出来事として記されています。

 イスラエルの中でも祭司は神様に近づくことの許された人々でした。その中でも、くじ引きによって選ばれて「聖所」に入ることが許された人というのは神様に最も近い存在です。この日聖所に入ったザカリアのもとに主の天使が現れました。そして、子どもがないまま老いていったザカリアとエリザベトに男の子が与えられるという知らせが伝えられました。それは彼らが長く祈り、願っていたことでした。祈り願っていたことでしたが、人間の肉体的な衰えもあり、ザカリアはいつの間にかこの祈りの実現を諦めていたのでしょう。そのようなザカリアに男の子誕生の知らせが与えられたのです。しかし、この出来事をザカリアは受け入れることができませんでした。聖所で神様の使いと相対しながらも、その言葉の実現を彼は疑い、証拠(18節)を求めました。天使の伝えた神様の言葉を信じることのできなかったザカリアは、ヨハネ誕生の時、つまりこの天使の言葉が実現するときまで、口が利けなくなりました。

 一方、マリアにもまた男の子が与えられるという言葉が届けられました。真らにとってもそれは驚くべき知らせであり、人間的には実現不可能な出来事でした。しかし、マリアは天使との対話の中でこの言葉を受け入れます。証拠を求めるのではなく、神様の力と導きに全てを委ねたのです。

 天使とマリア、またザカリアとのやり取りは広い意味での祈りの出来事といえるでしょう。それは神様との対話の出来事だからです。そして、そこには言葉のやり取りだけでなく具体的な出来事が伴っています。私たちにも日々の生活を通して神様が語りかけてくださることがあります。何もかも全てが神様からの語りかけということではないでしょう。しかし、日常の出来事をただ自分にとって好ましいこと、好ましくないこととして受けとめるだけでなく、立ち止まってそのことの中に神様からの語りかけを問うこともまた大切ではないでしょうか。私たちは、良いことが起こったら感謝、悪いことが起こったら助けを求める祈りを捧げます。それとともに、そのことを通して神様からの語りかけがあるならそれを受けとめられるようにと祈る、ということも大切なことのように思います。

 さて、イエス様誕生に至るまでに起こったザカリアの出来事とマリアの出来事は、祈りの中で神様の言葉を受けとめることと、地位や立場は関係のないものだと言うことを示しています。そして、神様の大きなご計画の中で、私たち一人ひとりも大切な働きを与えられているということも示されているのです。